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for my father.父へ。今君想ふ。

by Tomomi Imai

this is for you.
今、想う。父への手紙。

毎年、4月には、私の父の命日があります。
本来、その1日だけは何もしない日にしたいと思いつつ、今回は少し日にちがずれましたが、少し時間を取れました。
今回は、至極私的なことではありますが、その日に想う色々を、ここに残します。
英語表現は今回はおやすみ。

お父さんへ。

あなたがいなくなって11年が経ちました。
私は今29歳。
20代最後というやつらしいです。
今こそ、色々話したいことがわんさかありますが、できない悔しさは、日々を感じるための栄養分にしているつもりです。

どんなに沢山の人に出会っても、一番かっこいい男性はあなただと思わずにはいられません。
賢いのは当たり前で、人当たりも良く、みんなから好かれ、ボランティア精神も遊び心も持ち合わせており、紳士。
人に優しい理由は、誰よりも辛い経験をしてきているから。
その強さは、いつも言葉や行動の豊かさに出ていました。

私は、あなたを死なせたくないという思いと、死んだ方が楽なのではないかという思いを16歳頃から抱きながら、医者を目指し、悲しいことに、社会は想いがあり努力をしてもなれものがあるという事実を、私に叩きつけてきました。
もちろん、その努力は無駄ではなかったものの、結局それにはなっていない自分がいます。
医者は、病気は治せても、あなたを狂わせ、諦めた”社会”という場所を変えるほどの力にはなれないと気づくきっかけが、今までいくつかありました。
そして、その社会を変えればいいのだと思っていた若き日がありました。
結果、この11年、社会は大して変わらず、自分が様々な変化の渦に巻き込まれている、未だ私はそんな若造です。

その社会や世界を、誰かは変化が早くてついていけないと、言っています。
一瞬同意しかけましたが、冷静に見渡すと、超速球に見せかけて、実はとても遅いと感じている日々です。
なんていうか、スローモーションだなと。
なんなら、退化も感じられるほどの時があります。

大人になればなるほど、こねくり回して考えるのが好きな人が増えていきます。
そして、まるで自分が世界を救っているかのような人たちがいます。
走っていることが美徳となり、苦労していることが美徳となり。
その美徳で埋め尽くしたいがために、理想を掲げ、社会を変えると立ち上がっている人々がいます。
私も一時期、その中の一人でした。

でも、その人たちが気づいていないのは、その”理想”が時に誰かを傷つけているという事実。
例えば、家族というのは、お父さんとお母さんが寿命頃までいるものであるとか、人は”幸せ”でなくてはいけないとか。
少なくとも、私は小さく、小さく傷ついていました。

ものすごく私よがりなことを言えば、実は、社会を変えたところで、あなたが帰ってくるわけではないので、社会が変わろうが、誰かがスーパーマンになろうが、私の半径2mほどの世界は、それによって変わりはしないことが、ようやくわかってきました。

し、日々の生活をよく見ると、苦しんでいる人は社会が変わればいいのにということなんかよりも、結果、救っているかのような人たちのための会議に使われる甘いお菓子のために、毎日工場に行き、それを作るために自分の人生と体力を切り売りしているという事実は、見ないふりされている。
さて、どうしたもんか。

あなたは根っからの数学の学者でしたから、あなたの言った言葉のおかげで、私は理科系のものにはとても近くいられています。
「数学は一番サボりたい人がやる学問なんだよ。
だって、一番効率の良い方法を考えるために、公式を考えたり方法を考えたり、証明したりするんだから。」
本当だなと思っています。
私は文化系で文系ですが、最近あえてこねくり回して考えたりしないシンプルな人間になりつつあります。
最近、とても人生をサボりたいんだと思います。
サボることは、センスのある人にしかできないということがわかってきたからです。

そして、あなたはそれだけの賢者であっても、出世に何も興味を持ちませんでしたね。
なぜかというと、人の人生に判を押す人間にはなれないからと言っていましたね。
私も、どうやらそうだと思います。
この前母が笑っていました。
「勉強好きなのに、あなたは出世できないタイプよね」と。
出世は、疑わない、純粋無垢な人にしかできない。
人のことを気にしているような人間には、やっぱり難しいなと、改めて感じています。

最近は、いろんな出来事があり、ようやく自分の人生というものを考える時間に入っています。
20代最後というのはどうやら若いようですが、私は若さへの固執は全くありません。
ようやくそのブランドを捨てられる。
ホッとしています。
そして、自分の身の回りを見渡すと、若いという頃には本当にいろんなものをかき集めていたなと、自分に驚きました。
集める過程に意思はなく。
でも、体の成長のピークを超え、体力勝負な生き方はできなくなりつつあり、そうするとそろそろいるものいらないものを分けていく必要が出てくるようです。

さて、どうしたもんか。

これが面白いのですが、いるものを残して、いらないものがポロポロと落ちていく。
人間とは面白い生き物だと、思わず自分に感心したり。

今日見た映画では、男性らしく破壊活動がそのきっかけになっているのもあったけど、私のそれは案外静かに、サラサラと流れるが如く行われているように思います。

さて、最近の私はというと、おかげさまで今の自分を見てくれる人たちと深く関われるようになりつつあります。
それは、自分の中身を偽らずに、だからと言って人に理想も押し付けずに、シンプルに生き始めているからではないかなと。
そうして、こうやってお父さんのことなど含め、「私の人生の概略の一部」として話ができるようになってきたので、肩に力を入れなくて済むようになってきました。

特に最近は、都会の早さについていけないというよりも、都会が一見早く見せているものに、あえてのっからずに、自分らしい波を感じてゆったりと流れる術が身についてきたようです。
”しなやかさ”をテーマにし始めてから、視界もより一層広がりつつ、だからと言って貪欲さは捨て、軽やかな欲望を身にまとい、風を味方につけて、水のように生きていこうとしています。
そのせいか、島や水辺との縁も広がり、不思議なものだなと。

さて、こうやってつらつらと書いている今は、案外比較的不調な状態の中にいて、大きな声で歌を歌いたいし、ものすごく静かで誰もいない海の音を聞いていたい。
そういう状態です。

気分転換にかなり長時間散歩してみたものの、私が人間で有る限り、人間が作り出す音からは逃れられないわけですが、まあそれは許容範囲として、ビールでも飲みながら、これを書きつつ、ごく静かに1日を終えてみようと思います。

そんな訳で、そちらにいる騒がしめで愛嬌のある私の友人と、2匹の犬と、歌がうますぎる叔母にもよろしく。

献杯。


Tomomi Imai
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